クリエイターでメシを食う

今後炎上ネタは一切扱いません

日本のTV局がよくやる 「貧困の村に井戸を!」 といった企画

知人に長年にわたってNGO(NGOs=Non Governmental Organizations=非政府組織) として活動を続けている女性がいるのだが、
ある件で彼女や所属する組織に取材をした際に、大手メディア(特にTV) では殆ど報道されていない大問題を教えられた。
英文の報告書(とその和訳) を見せながら説明してくれた内容によると、先進国が海外の貧困にあえぐ村に対して行った
「人道的支援」 によって、殺し合いにまで発展してしまった事例がいくつもあるそうなのだ。

例えば、日本のTV局がよくやる 「貧困の村に井戸を!」 といった企画があるが、作るまでと作った直後まではいい。
じゃんじゃん水が出て「ハイよかったね~、こどもたちも嬉しそうにはしゃいでいるね~」と、TVで放送されるのはそこまでである。
なんだったらその絵をエサに募金を募ったりするだろう。
多くの日本人がそれを見て善意でお金を送ったり、募金箱にお金を入れにいったりもするだろう。

ではここで少し考えてみよう。
同じくらい今日食べる食料にも困っている村が何箇所かあったとして、その内のひとつに日本のTVクルーとタレントがやって来た。
彼らは村人たちに支援物資を配り、村に井戸を掘り、水が出て、簡単な農作物なら作れるくらいに発展した。
そして撮影が終わって日本人たちは帰って行った。
さて、いったいその後に何が起こるか想像できるだろうか?
周囲には変わらず貧しさに苦しみ続けている村々があるのに、一箇所だけジャパンマネーで裕福になったとしたらどうなるだろう?

そのNGOのメンバーが見せてくれた報告書には、水源(井戸) の奪い合いで他の村人との間でイザコザが起き、
それが村をあげての殺し合い(言ってみれば戦争) に発展し、大勢の死傷者が出たと書かれていた。
日本人が善意で行った支援活動が、現地では殺し合いのキッカケになってしまったのである。

他にも日本のTV屋が好む絵として 「貧困国に学校を!」 という企画もある。
そうした企画で作られた学校は、その後もきちんと使われ続けているとは限らず、日本人スタッフが離れた途端に 「襲われる」 というケースすらある。
どういうことかと言うと、TV屋やタレントらが撮影をしている内は思惑通りに使って貰えるのだが、外国人の監視の目がなくなった途端に教師がいなくなる。
そして建築に使われた資材が盗まれる。木材・石材・鉄と、他所に売れそうな物は片っ端から壊され、剥がされ、
見るも無残な廃墟になってしまうのだ。こんな結末などTVは絶対に報じない。
そんなものを流せば、××時間TVのような番組が二度と制作できなくなるからだ。

また、農業支援といった手法にも大問題が山積みになっている。
例えば貧しい土地でも作れる作物を根付かせようとしても、監視の目がなくなった途端に盗まれたり荒らされたり、
井戸と同様に奪い合いや殺し合いに発展したケースが多々ある。
では食べ物でなければいいのかと言うとそうではない。
食用には向かないがバイオ燃料の原料になる植物の栽培を推奨したケースでも、現地人の間で諍いが起き、そこでも死人が出る騒ぎになってしまった。

現在では、世界中のNGOがこうした 「不公平に起因する騒動」 に対するケアまで考慮し、万が一のないように計画を立てた上で支援活動を行っている。
未だに呑気に「子供の絵は解りやすいから学校作りましょうよ!」だの「井戸から水が出ている絵が欲しいっすね!」などと言っているのは、日本のTV屋くらいのものかもしれない。

ヒューマニズムだの人権だのと口にすれば、誰でも良い事をしている気分になれる。
ところが、そうした目立ちたいだけの上っ面だけのエセ人権屋や運動屋のマスターベーション的な行動のお陰で、
「実は海外でジェノサイドが巻き起こりました......」 という事例がいくつもあるのだ。
お手軽に正義の人ぶるのは勝手だが、その行動がどういう結末を迎えるかまで考えてからにして頂きたい。

善意ある行動が、キレイな結果に繋がるとは限らない。
だからこそ、真っ当なNGONPOはもがき苦しみながら必死に勉強をし、失敗を反省し、決して目立たない場所で地道な活動を続けているのだ。
「善意は人を殺す」こともある。